倭姫と豊受神社


元伊勢(生津)の「豊受神社」

 

倭姫が神のお告げを受け 伊勢の五十鈴川の辺りに向かうため
生津の地より伊勢へ宮を遷そうと出発された由緒ある場所

 

今から1600年前、倭姫(やまとひめ)が祖先である天照大神(あまてらすおおみかみ)をお祀り場所を求め諸国を旅していたとき、美濃の国、瑞穂市の伊久良の地に4年ほど滞在していた倭姫は、神のお告げを受け、伊勢の五十鈴川の辺りに宮を遷さんと生津の地より伊勢に向かわれたと伝えられています。
倭姫は船に乗ろうとしたが、豪雨で船を出すことが出来ず、森の下で泊まられた故、森下と今に伝えられています。生津は、船が出入りをした故、生津と言われています。
糸貫川沿いにある豊受神社こそ、神様の宿られた祠(ほこら)でした。
天照大神をお祭りした伊勢神宮、内宮・外宮と同じように、倭姫が伊勢の五十鈴川に向かわれた場所、生津に神明神社(瑞穂市内宮町生津)・豊受神社(外宮町生津)の2つの神社を伊勢並の神宮として奉遷、祭礼に両宮一体の神事が営まれています。

 

 

豊受神社御由緒(通宮・外宮)

 

 

一、御祭神 豊受大御神
この神社は、伊勢の豊受大神宮の分霊を奉斉し、衣食住のお恵みをお与えくださる産業の守護神であらせられる。創建年月は判明しないが、伝記によれば
垂仁天皇第四皇子倭姫命が、天照大御神の神霊を奉じ、各地を遍歴され、美濃の国伊久良(居倉)に滞在後、伊勢の五十鈴川の辺りに宮を遷さんと、生津の地に逗留、舟旅にて伊勢に向かわれたと伝えられている。
舟が出入りし故に生津といい、森の下で泊まられし故に森下とよぶなど今に伝わり貫き御跡として、大御神を斉祀し崇敬これ伊勢並の神宮として、内宮外宮を奉遷し、祭礼には両宮一体の伝統ある神事が営まれている。

 

 

『倭姫命世記』

 

『倭姫命世記』によれば、垂仁天皇10年、倭姫が天照大神の御霊代を祀る地を探し、淡海国坂田宮より美濃国伊久良河の地(瑞穂市)にたどり着き、この地に4年滞在したと伝えられています。
天神神社はこの時伊久良河宮としてこの地に宮殿が作られたのが始まりと伝えられ、また本殿右にある御船代石(みふなしろいし)はその時に天照大神の神輿を安置した跡と伝える。
その後、倭姫は神のお告げを受け、伊勢の五十鈴川の辺りに宮を遷さんと生津の地(生津外宮町)から2隻の木船で川と海を下り、尾張国神戸(一宮市)にたどり着き、中島宮に滞在することになる(『倭姫命世記』)。

 

 

ゼロ磁場に建つゼロ磁場研究所

 

ゼロ磁場の磁気エネルギーを開発したアインの研究所は
磁気エネルギーの強いゼロ磁場の地にあります

 

西堀貞夫は、生津の豊受神社のある外宮町で生まれました。代々西堀家はその地にあります。
アイン研究所の、隣にある内宮町神明神社の参道の隣に建っています。
戦後、神明神社の賛同は区画整理で道路が横切り参道を切ってしまいました。
この参道は、もともと神のエネルギーが糸貫川に向かい、豊受神社に続いていました。
区画整理によって神のエネルギーが邪気とパワーになり左に流れ分断された道路沿いの家々に、邪気や憑依で事故死が次々起きました。
(試聴ルームの音響チェアの左側にゼロ磁場が発生しています。)
アインの研究所も神のエネルギーの流れが変わったことにより、憑依現象が起きました。
西堀貞夫もそこで霊波に吹き飛ばされるなどの不思議な体験をしています。
この地がゼロ磁場の磁気エネルギーの強い聖地であることを私たちは感じました。
この体験は西堀貞夫にこの20年間苦しい努力を続けさせ、不可能が可能になる開発ができたのは、この地の神様の磁気エネルギーの導きと信じています。
聖地で「生体磁石」や「生体麻薬」を応用した最先端の医学や磁気エネルギーの研究開発をさせていただいたことを神に感謝しています。
邪気や憑依の怖さを十分理解した西堀貞夫は、道路が改善されるまで一時的に本社研究所を閉鎖しました。